2024年09月24日 11:53更新
上越市出身のイラストレーター大塚いちおさんと、大塚さんがユニフォームなどのデザインを手掛けるサッカーJリーグ 川崎フロンターレで活躍した元日本代表の中村憲剛さんのトークイベントが22日(日)、上越市の小林古径記念美術館で開かれました。
大塚いちおさんは、NHK・Eテレの番組「みいつけた!」のアートディレクターを務めています。また、上越妙高駅のお出迎えキャラクター「ウェルモ」の生みの親でもあります。
Jリーグ川崎フロンターレの2015年ユニフォームデザインも手がけていて、トークイベントにはチームに所属していた元日本代表で大塚さんと交流のある中村憲剛さんが招かれました。
この日は市内外から集まったファン70人以上を前に、中村さんの幼少期や現役時代の裏話などを話しました。
中村さんは小学1年生からサッカーを始めます。しかし、中学生時代には身長が低かったことから思うようにプレーができず挫折を味わいました。
中村憲剛さん
「中学1年生で一度サッカーやめた。やらない時間に自分のプレースタイルを考え、ドリブルが通じないからパスやポジショニングで勝負しないといけないなど、変わるきっかけになった。『中村憲剛』のベースができたのがこのとき」
中村さんは中央大学を卒業後、2003年に川崎フロンターレに入団しました。ミッドフィルダーとして活躍し、その後、日本代表としてワールドカップにも出場しました。
また、中村さんはサッカー以外で、大塚さんとの縁を通じて子どもたちの人気者になったエピソードを明かしました。それは、「みいつけた!」のキャラクター「オフロスキー」の弟役として番組に出演したことです。
中村憲剛さん
「当時、サッカー選手としては子どもたちに認知されていなかったが、番組に出た瞬間に『オフロスキーだ!』と声をかけられるようになった」
最後に2人は、プロを目指す人や若者へ向けてアドバイスを送りました。
大塚いちおさん
「今の若者は『タイパ・コスパ』とよく言う。(イラスト)アナログだと、ようやく完成するときにインクが落ちたりすることがあるが、そういうときには『これを生かせないか』と考える。私は、タイパ・コスパよりアクシデントの方がチャンスだと思う」
中村憲剛さん
「すぐにどうやったらうまくなるかと聞く人がいるが、質は量をこなさないと見えてこない。むだなことがあって、30歳を過ぎてから効率の良さを考え、40歳ごろから自分らしさができる」
川崎市から参加した人
「川崎フロンターレファンで、大塚さんを知った。2人を並んで見られる機会はない。いいイベントだった」
市内から参加した人
「子どもの頃『みいつけた!』をよく見ていた。そのデザインをしている人が上越市の人で、身近な存在だったことに驚いた」
このイベントは、小林古径記念美術館で開かれている「大塚いちお展へんてこで特別!」に合わせて開かれました。会場では大塚さんがデザインした川崎フロンターレのユニフォームやキャッチフレーズなどが展示されているほか、公式キャラクター「メーカブー」と写真を撮ることができます。
「大塚いちお展」は、11月24日まで開かれています。
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