2023年02月05日 11:50更新
目が不自由な女性の旅芸人、高田瞽女(ごぜ)が三味線の演奏や歌を披露する「門付け」の再現が上越市高田地区で行なわれ、雁木通りにかつての情景が甦りました。
高田瞽女とは目が不自由な女性の旅芸人たちのことで、江戸時代から昭和39年まで活動し、最盛期の明治半ばには高田の雁木周辺に89人が暮らしていました。門付けは、冬に瞽女が演奏会に向けて、事前に雁木通りにある家々の玄関先で三味線の演奏や唄を披露し、演奏会を知らせるために行なわれていました。
「門付け」の再現は、こうした瞽女の文化を知ってもらおうと、NPO法人「高田瞽女の文化を保存・発信する会」が15年以上前から続けています。ことしはコロナ禍の影響で3年ぶりに行われました。
「高田瞽女の文化を保存・発信する会」事務局長 小川善司さん
「瞽女さんは娯楽のない時代に娯楽や情報を運び、女性の人生相談も受けた。また農山村の人々が瞽女さんを支えた。400年の歴史に思いをはせてほしい」
「門付け」の再現では、東京都の三味線奏者、月岡祐紀子さんのほか、市民など3人が瞽女に扮しました。先頭の月岡さんは高校生のころ、瞽女から直接、指導を受けた経験があり、14年前の2009年から門付けの再現に参加しています。
一行は本町6丁目の町家交流館高田小町から東本町1丁目の瞽女ミュージアム高田までの片道、約400メートルを往復し、家々に立ち寄って門付けを行ないました。
この日は多くのアマチュアカメラマンが集まり、かつての高田の風景を写真に収めていました。
三味線奏者 月岡祐紀子さん
「若い人だと瞽女を知らない世代が多い。昔は門付けで後ろに子どもが歩いたというが、色んな人に浸透して、それほど親しまれるようになったらいい」
瞽女を演じた市民
「最初は気持ちを感じたくて、目を閉じたが転びそうになり危なかった。大切な文化、宝なので、少しでも協力できれば」
門付けを見た市民
「門付けは、瞽女とその土地土地の人たちと触れ合ってつながっていることがいい。人とのつながりが感じられる行事なので、続けてほしい」
「高田瞽女の文化を保存・発信する会」事務局長 小川善司さん
「全国から多くのカメラマンが訪れた。門付けを通じて、雁木のまち、高田の伝統文化を知ってもらうきっかけにもなれば」
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