2022年09月26日 21:07更新
北京オリンピック銅メダリストの冨田せなさんが26日(月)、妙高市立妙高高原中学校で講演し自らの人生を語りました。
講演は冨田せなさんのこれまでの人生を知ることで、生徒に将来について考えてもらおうと開かれました。
きょうは、かつて冨田さんの学年担当をしていた寺島佳子教諭が、生徒への事前アンケート結果を元に、冨田さんに話をききました。
冨田さんは中学生時代、自立心旺盛だったということで、時には一人で遠征に出かけたり、どんな状況でも必ず学校の課題を提出したと話しました。
北京五輪銅メダリスト 冨田せな選手
「ほぼ全教科、課題を提出していた。車で寝泊まりすることが多く、課題は車中や日帰り温泉施設でやった」
寺島佳子教諭
「『やってません』ということなかった」
冨田選手
「やらないとスノボできなかった」
また、冨田さんは生徒からの質問に応えて、もっとも辛かったのは2019年のワールドカップで脳挫傷を負った時だと明かしました。
冨田選手
「3か月間、絶対安静と言われた。12月~2月でスノボのハイシーズン。その時、一番近くにいてくれたのが父母。気分転換をさせてくれ、大切さに気付いた」
生徒
「オリンピック選手を身近に感じ、話が面白かった」
生徒
「どのように大会に挑んでいるのかなど貴重な話が聞けて良い時間になった。(大会では)いつも緊張するが、自然を見る話が参考になった。辛いとき家族に反抗してしまうが家族が大切だと思った」
冨田選手
「勉強とスノボの両立の大切さと目標に向かい、あきらめないことを話した。目標は人それぞれ。小さくても良い。好きなことを一生懸命にやってほしい」
妙高高原中学校 寺島佳子教諭
「困難にあっても、あきらめなかったことがメダルに繋がったと伝えたかった」
妙高高原中学校では、来月29日に開かれる文化祭で、冨田せなさんのパネルと並んで写真が撮れるフォトスポットを設置することになっています。
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