2023年09月25日 15:54更新
縄文時代後期の竪穴式住居で使われていた「炉」の跡とみられる石が、上越市の平野部にある「下割遺跡」で、9月中旬にみつかりました。専門家によりますときわめて貴重な発見ということで、森で暮らしていた縄文人が平野部にも進出していた可能性が高まってきました。
これが、縄文時代後期、竪穴式住居のものとみられる「石囲炉」の跡です。9月中旬、地下4メートルの地層から初めて見つかりました。専門家は、集落跡の手がかりではないかとみています。
県の調査事業団
「石の内側が赤く焼けているので、中で火をたいていたことが分かる。炉を中心に2メートル四方のくぼみがあり、くぼんでいる範囲が建物だろうと考えている」
「下割遺跡」は国道253号線上越三和道路の建設工事に伴い、飯田川左岸などで2002年から発掘調査が進められています。23日(土)は遺跡の発掘現場が初めて一般公開されました。
見学に来た地元の人
「地元だから良く見ておこうと参加した。平安、鎌倉時代などのものが出るのは聞いていたが、縄文も出るとは知らなかった」
県の調査事業団によりますと、上越市には中郷区など丘陵地帯を中心に多くの縄文遺跡があり、当時は森林を中心に狩猟生活をしていたと考えられています。
そうした中、高田平野の中央にある下割遺跡で炉の跡が見つかったことで、縄文人の新たな暮らしぶりが浮かび上がってきました。
新潟県埋蔵文化財調査事業団 山崎忠良 専門調査員
「沖積地でも人が暮らしていて、建物を造って住んでいた可能性が出てくる。竪穴式住居であれば、極めてまれな大きな発見」
見学に来た人
「縄文時代は狩猟生活が主なので、平野から跡が出るのは驚き。この辺は昔は人口が多く、農業も盛んだったのではないか。画期的な発見だと思う」
今回の調査は11回目です。これまでに、縄文時代から中近世まで、少なくとも7つの時代の遺跡が重なっていることが分っています。そのうち縄文時代については、後期の土器や墓などが見つかっています。
新潟県埋蔵文化財調査事業団 山崎忠良 専門調査員
「調査をしていると地元の人から『ここに遺跡あると知らなかった』とよく聞く。ぜひ身近に感じて(昔の生活を)思い起こしてみてほしい」
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