2023年09月02日 11:04更新
いにしえの国産エネルギー!江戸時代から明治時代にかけ、上越市内で「燃える水」として汲み取られた石油や油田の歴史を紹介する企画展が上越市立歴史博物館で開かれています。 石油は江戸時代のはじめ、現在の上越市板倉区や清里区で、地すべりをきっかけに見つかったと言われています。当時、石油は「草生水(くそうず)」と呼ばれ、ろうそくよりも安い価格でランプの燃料として使われました。その後石油の普及が広まり、井戸が次々と掘られるようになりました。江戸時代の終わりには、つるはしなどを使って深さ200メートルを手で掘る技術が確立され、板倉区と清里区にまたがる玄藤寺油田は全国を代表する産地になったといわれています。
訪れていた人
「頸城油田は知らなかった。手掘りの時代から産油量があったことが分かった。」
しかし玄藤寺油田では明治20年代に入ると生産量が減少。その後、昭和30年代に牧区で大量の石油が見つかりますが、生産量の減少などにより、上越市内での石油の生産は昭和36年で幕を閉じました。
会場には井戸を掘る道具など約90点が飾られています。
「たたら」(写真左側)という送風機を使って200m下の作業員に空気を送っていた
上越市立歴史博物館の学芸員、花岡公貴さんは「ガソリンが高騰化している中、エネルギーについて考えるきっかけにしてほしい」と話していました。
頸城油田の盛衰
■日時:10月29日(日)まで 午前9時~午後5時
■場所:上越市立歴史博物館
■休館:月曜(祝日の場合翌日)、祝日の翌日
■観覧料:一般510円、小中高生260円
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