2022年09月23日 22:36更新
国道253号線、上越魚沼地域振興快速道路(通称 三和安塚道路)の建設予定地で、ことし春から発掘調査が行われてきた「蓮花寺五輪塔群・立場遺跡」の現地見学会が23日に開かれました。
蓮花寺五輪塔群・立場遺跡は保倉川に近い、上越市三和区末野字立場にある中世、室町時代のものとみられる墓跡です。三和安塚道路の建設に伴い、上越市教育委員会が県上越地域振興局の委託を受け、今年春から発掘調査を行ってきました。
その結果、遺構から真言宗の墓の一種「五輪塔」や、経典などを納める「宝篋印塔」の石のパーツ、130点以上が見つかりました。
あわせて能登半島で作られた珠洲焼の壺や人骨、さらに白磁の皿のかけらや銭貨などが数多く出土しています。
さらに見つかった五輪塔は元々建てられた場所ではなく、別の場所に列状に移された形跡があることも分かりました。見学会には地元三和区などから40人ほどが参加し、遺跡の出土状況や出土品について説明を受けました。
参加者の一人は「蓮花寺がここの下にあって、その近くに昭和16年から40年位住んでいた。感慨深いというか、遺跡がこんなままであるとは夢にまで思わなかった。この辺は昔、家や学校の畑で『矢じり』もよく出てきた。保倉川が近かったこともあるんだろうが、1500年代にこの辺に人が住んでいたのではないかな」と話していました。
説明をした市文化行政課埋蔵文化係の湯尾和弘さんは「五輪塔群として遺跡登録されているのは市内に200か所くらいあるが、今まで発掘調査を実際に行うのは少なかった。発掘をしたら五輪塔だけでなく、元の場所から移動していることも実際に分かったことが大きな特徴」
「ひとつ可能性として考えられるのは、上杉謙信・景勝が会津に移ってから堀秀治が入ってくるときに、上杉の移民一揆、反乱が起きて、そのときに当時高田平野の各地にあった真言宗のお寺が反乱に加わった。反乱が鎮圧したあとに堀が真言宗のお寺を叩いたといわれる。そうした中で真言宗につながりのある五輪塔も動かしてバラバラにされたのが、今回の遺跡で確認できた」と話しています。
市によりますと、遺跡部分は今年度市教委が調査を担当し、県の事業化にあわせて今後、三和安塚道路として着工されることになっています。
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