2017年07月09日 19:16更新
上越市大貫の豪農として、学校の建設や地場産業の発展、鉄道の敷設に尽力した
矢澤綱四郎(やざわつなしろう)の功績を讃える顕彰碑がこのほど完成し、7月9日除幕式が開かれた。
矢澤綱四郎(1847~1896)は幕末から明治初期を生き、
地域の豪農の名家であった矢澤家の当主として、旧大貫村の首長である大肝煎を務めた人物。
私財を投じて自宅内に旧大貫小学校を開いたほか、「産殖社」とよばれる農業試験場も建設し、
作物の栽培や畜産の推進など農業の多角経営化を促した。また、室孝次郎らとともに鉄道の開設を夢見て、
資金集めや運動を展開し、信越本線敷設の実現に結びつけた1人とされている。
当時、先見の目をもって地域や産業振興のために力をつくしたものの、
その名前が広く知られていないことから、大貫など金谷地区4町内でつくる大貫協議会が
このほど旧矢澤家跡にある金谷町内会館の敷地に顕彰碑を建てた。
除幕式には綱四郎の子孫や、地元関係者およそ20人が参加し、
地域の隠れた偉人の功績と遺徳をしのんだ。
前の協議会総代として、そして綱四郎の研究家として顕彰碑建立に尽力した
佐藤仁さんは「実業家としての綱四郎の先見性に非常に驚いた。当時貧しかった地域に
いかに産業を作るか、私財をなげうって尽力された。大貫だけでなく、
上越一円のために尽くされた人だった。」と語っていた。
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