2017年06月22日 14:55更新
先月開催された上越市のイベント。会場でさまざまなグルメが並ぶ中、ひときわ目立つこちらのブースで販売されているのは…。
(移動販売車をサメのぬいぐるみやバルーンで飾りつけ、猛アピール!)
(写真上から、おたふくソース、タルタルソース、みそてりソース)
サメの揚げ物だ。
人食いサメと人間の闘いを描いた映画「ジョーズ」の影響などで、サメはこわい!という印象を持つ人もいるが、食べた人からは「おいしい」「お肉みたい」と、好評だ。
江戸時代、幕府は長崎から中国に輸出する品目のひとつとして、フカヒレの生産に力を入れていた。これに合わせ、上越地方ではサメの水揚げ量は多くなかったものの、フカヒレの生産が積極的に行われた。
(かつて、サメが水揚げされたという保倉川周辺)
一方、ひれを切り取られた魚肉は、庶民の胃袋に。食材として浸透した。現在、国内のサメは、約9割が宮城県で水揚げされている。上越の料理研究家やサメを扱っているスーパーによると、昔からサメを食べ、食文化として残っている地域は全国8か所ほどで、県内では上越のみだという。しかし、昭和30年代以降は、上越周辺に生息するサメの数やサメの漁をする人の数が減り、上越で水揚げされなくなった。地元ではお節料理の煮こごりなどに使われることが多く、毎年、年末に市内の市場でサメの競りが行われているが、すべて宮城県から取り寄せている。また、ふだん食べるメニューに煮つけなどがあるが、市内のスーパーに並んでいる切り身も、同じくほとんどが宮城県産だ。
(サメの皮を使った煮こごり。上越地方ではお節料理として親しまれる)
(上越市の魚市場で年に1度のサメの競り。すべて宮城県産)
(上越市内のスーパーで販売されるサメの切り身。同じく宮城県産)
魚を卸売りする 「一印上越魚市場」の武田修一さんは、「年々見ると食べる人が減ってきたというのが事実。各家庭に年配がいれば昔食べたということで食卓に出る機会があるかと思うが、文化のないところから嫁がれた人もいて減ってきたという印象はある」と語る。
(一印上越魚市場の武田修一さん)
「上越の食文化を守りたい」
多くの人にサメを食べてもらおうと、一印がことしさまざまな取り組みを進めている。そのひとつが、新しい食べ方だ。地元の料理研究家、井部真理さんと協力し、作り上げたのがこちらの揚げ物。魚醤で下味をつけ、衣は食感を出すために米粉を使った。地元のみそで作ったソースなどをかけて、味わう。この新しいメニューは、上越市を代表するイベント、高田城百万人観桜会をはじめ、市内のイベントで販売され、県内外から訪れた人が上越の食文化にふれるきっかけになっている。
(料理研究家、井部真理さん)
井部さんは「年配は普通に食べているが若い人は食べ方が分からなかったりして手が出ない。こういうカツを食べてもらうことで揚げ物にすればいいとか、とっかかりのひとつになってくれたらいい」と、今後の普及に期待を寄せる。
「『サメを子どもたちに食べてもらい、大人になったら学校で食べたことがある』、というような文化継承のためにも学校で利用を…」一印とサメの普及に協力する上越市のスーパー「ハローツゥ」の羽深耕時社長が、学校給食の栄養士に呼びかけた。栄養士が加工食品を扱う業者から給食食材の提案を受ける会場だ。上越市の学校給食では、サメがフライなどに調理され、15年ほど前から年に2回ほど登場している。
サメはカロリーが低くタンパク質が多い。サメのフライを試食した栄養士は「ふっくらしていて臭みがなく、子どもたちも食べやすい」「今までサメを食べてきた文化を給食の時間に子どもたちに伝えていけたらいいなと思った」と話した。
新しいメニューの開発に、学校給食への提案。一印では、まずは、食べてもらうことが食文化の継承につながると感じている。一印の武田修一さんは、「上越のサメ文化、長い歴史の中で子どもが大きくなったときに、自分らもサメを食べてきたと言ってもらえるよう、次世代につなげるものにしたい」と、江戸から続く食文化を〝おいしく〟伝えていく。
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